いかにも工場らしいの機械音が響く中、運転を停止させた1台の機械の下に潜り込んだ俺と大羽は、不調の原因を探して修理していた。生産管理課から、出荷を急いでいるから急ぎで直してほしいと言われている。顧客の信用と売上に関わる以上、あまり時間はかけられない。
「この接続緩いみたいなんですけど繫げ直した方がいいですよね?」
「ああ、そうだな。あとあっちオイルさしておいてくれ。俺は向こう見て来るから。」
「分かりました。」
狭い機械下をもぞもぞと移動する。基本的に工場は24時間フル稼働で、休憩の時も電源までは切らない。長さが3m以上ある機械の下は、さすがに今回は電源を止めたと言ってもかなりの余熱が残る。軍手越しに触る金属部はまだ熱い。摩耗していた部品を交換し、おそらくこれが不調の一番の原因だろうと思いながらふと大羽の方を見ると目があった。何も言わずにただ俺を見つめた後、ニッと笑って機械に向き直る。
何年経っても変わらない笑顔。それをちょっと、可愛いと思ってしまった。もう俺のこの頭を誰かどうにかしてくれ。
仰向けのまま機械の下から出ると、黒河係長がしゃがんで声を掛けてきた。
「どうだ?」
この人の場合、出世頭と言われるのは自己アピールが得意なだけじゃない。機械の事から現場の人達の派閥まで、とにかく色んな事を知って柔軟に対応する。意見がすれ違いがちな現場と事務所を上手く繋ぐ力もある。正直この会社に居るのは勿体ない。
「接続緩んでた所は今大羽がやってます。機械の振動で緩む所だと思うんで、定期メンテナンスの時、3回に1回くらいは締めておいたほうがいいですね。あと一番はコレです。」
足を機械の下に入れたまま起き上がり、俺は摩耗した部品を見せた。もはや原形をとどめていないそれを見て、黒河係長が軽く笑う。
「ひでぇな。後で業者呼んで話すか。」
「じゃ、セッティングしときます。」
「終わりました―。」
ごそごそと大羽が出てきた。そのまま俺の側に座り込む。
「おうお疲れ。」
声を掛けた黒河係長は、ふと思い出したように言葉を続けた。
「そういや大羽、あの後ちゃんと帰れたのか?」
あの後。って言ったら新歓の後しかない。不意打ちに目が泳いだが、大羽は笑って頭を掻いた。
「いやぁ、それがあんまり覚えてなくてですね。赤羽さんとタクシー乗ったのは何となく記憶にあるんすけどね。」
は? 覚えてないのか? 確かに相当酔ってたしな・・・・・・いや覚えてないならいいんだけど。俺もその後は覚えてないし。・・・・・・なんだよ。覚えてないのかよ。そりゃキ・・・・・・キスしたなんてそんなの覚えてたら普通に話してこないよな。どうりで普通に接してくるわけだ。
なんだよ。悶々とした俺の休日を返せコノヤロー。
思わず溜息をつくと、笑っていた黒河係長が怪訝な顔で聞いてきた。
「どうかしたのか、赤羽?」
「いや何でもないっす。」
「あー、俺赤羽さんに結構世話焼かせちゃったみたいで。」
「そうなのか?」
「起きたら赤羽さんの上着が掛けてあったんすよ。愛ですよね、愛! ワタシ男にこんなに優しくされたの初めてですよ。」
マ ジ で か !
「あはは、そりゃ愛かも。」
「いや黒河係長、それは「かも、じゃなくて愛なんです。」・・・・・・断言するな大羽。」
「あ、上着はちゃんと返すんで。」
当たり前だ。しかしまさか掛けて帰ったとは・・・・・・。
再び機械を稼働させる為に黒河係長がその場を離れると、大羽は笑顔で言った。
「お詫びとお礼に、帰りにデートしまっしょ!」
本気にしたくなるからそんな冗談やめてくれ。っていうかその笑顔もやめてくれ。
鼻の下の細い髭を、口の端の辺りで上に向かってぴんと跳ねあげたオヤジが店長の遼来々。何年振りかでその店に来た俺達は、良く座ったテーブル席に座り、あの頃と大して変わりばえの無いメニューから良く頼んでいたラーメンを注文した。
「・・・・・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・気にしちゃってるんすか?」
「な、何を?」
若気の至りの方か、悪酔いの方か。それともお前の存在か。
「俺はとにかくビックリでしたよ。考えた事無かったから。」
あー、それ。どれにしろ、うん、まぁ、俺も。つかやっぱり覚えてたんだなお前。
「でも本音って、時間が経っても消えないもんなんすね。で、突き進む事にしました。」
「は・・・・・・?」
「へいお待ち!」
ごんっという音と共に、見計らったようにラーメンが置かれた。隠れた名店だけあって客は多い。なかなかガタイのいい店員が急ぎ足で厨房に戻っていく。
何となく無言になって、二人で割りばしを割った。
「「 いただきます。 」」
ズルズルと麺をすすりながら、言葉の意味を考えた。
嫌がられても仕方ないところを普通でいられるのは、コイツのおかげだ。それは有難いが、突き進むって何だ。あの酒くさいキスってそういう意味か。コイツのノリを考えると、どこまで本気なのか分からない。
それ以前に俺はコイツをどう思ってるんだ。やっぱり今も好きなのか。確かに時々ヤバいけど恋でいいのか。認めちゃったら今度はもう若気の至りじゃすまないんだけどいいのか。
考えていると、正面の大羽がのほほんと言った。
「やっぱり旨いっすよねココ。」
「・・・・・・お前、マイペース過ぎ。」
「え、旨くないっすか?」
「いや、旨いのは変わってなくて安心したけど。」
「じゃぁ真面目に話しますか。」
「お前が真面目とか微妙~。」
「えー、じゃぁどうして欲しいんすか。」
方笑み浮かべて軽口をたたき合えるこの距離感は、もし突き進んじゃったらどうなるんだろう。
「お前はどうしたい?」
軽口ついでに聞いてみると、大羽はふと笑みを消した。思わず食べる手を止める。
「俺はもう逃げないっす。」
大羽はまっすぐに俺を見て、きっぱりと言った。
「だから先輩も逃げないでほしいっす。」
かつてないその真剣な瞳は、俺を釘付けにするのに充分だった。男らしく俺の迷いを断ち切りやがってコイツ。
「こんな事で遊ぶ歳でもないって分かってるよな? 後悔しても知らないぞ。」
「あの時・・・・・・卒業式で目を逸らした事、俺がどんだけ後悔したと思ってるんすか。もう後悔なんてしないっす。」
「マジでか。つか、いつからだお前。」
「そりゃあの日からっすよ。今思えばですけどね。」
予想外の答えにびっくりした。いつからそんなに一途になったんだコイツ。やべぇなんか照れてきた。
「・・・・・・それなら会社の外では翼って呼べ、風汰。」
「・・・・・・つ、翼・・・・・・。」
一気に顔を赤らめて破顔した大羽が、誰より可愛くて抱きしめたいとか・・・・・・もう認めるしかないだろこれ。
泣く子も黙りそうな逞しい男達が切り盛りするラーメン屋で恋人関係が始まるなんて、どんなに旨くてもロマンスの欠片もない。でも俺達はこれくらいの気安さが丁度いいのかもしれない。そう思うと笑みがこぼれた。
可愛い恋人が俺目当てで入社した事を知った、三年前のそんな始まり。俺の隣には今日も、変わらない笑顔の風汰がいる。
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